無常迅速(むじょうじんそく)

先月に紹介させていただいた「生死事大」に続く言葉としても知られています。
「生死事大」とは、生まれるということは何か、死ぬということは何か、これらを正しく理解することが仏教を学ぶ上で、最も大切であるということです。
「無常迅速」とは、これらの生き死には、常に移り変わるもの、一時としてそこに止まっていない「無常」であり、直ちに過ぎ去っていく「迅速」であるとするのです。

「光陰は矢よりも迅かなり。身命は露よりも脆し。何れの善巧方便ありてか、過ぎにし一日を復び還し得たる。」

『修証義』第5章「行持報恩」

月日の過ぎていくさま、飛ぶ矢よりも早い。私たちの体や命は、草の葉に残る一粒の露よりも儚いものである。たとえどのような手立てを用いても、すでに過ぎ去った昨日という1日を再び取り戻すことはできない。

いつかは訪れる「死」というものに私たちは日々、着実に近づいています。どんなに努力しても、その過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。であるのならば、今あるこの時を、どのようにして過ごしていけばいいのか。常にその事を考えていかなければならないのです。
「ボーっと生きていんじゃねーよ」という声が聞こえてきそうです。

今月の禅語(令和5年10月)

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