現成公案(げんじょうこうあん)

道元禅師がお示しになりました『正法眼蔵』にはいくつかの編纂本がありますが、その大半において第1巻におかれているのが「現成公案」の巻です。

「現成」とは、現前成就の略で、現前しているものが成就している、絶対の真実が目の当たりに実現し完成していること。万物がありのままに現れて完成した姿を示していること。
「公案」とは、公府の案牘の略で、公府とは政府、案牘は公文書、つまり政府の法令のことです。人々が、守り従わなければならない法則、動かすことのできない真実のそのものです。禅宗では、指導者は参学者に対して、祖師の言葉や行動を手本として示して、その意味を考えさせ、参学者が悟りを開く手がかりにしました。この祖師方の言葉や行動を公案と言ってます。

道元禅師は『正法眼蔵』「現成公案」の中で、次のように示しています。

「仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」

『正法眼蔵』現成公案

仏道をならう(学ぶ)ということは、自己をならうことであり、仏道は、他人事として捉えるのではなく、常に自らのこととして学ぶ必要がある。
自己をならうこととは、自己を忘れること、自己へのとらわれを忘れることである。自ら自分自身へのとらわれを手放す必要があります。
自己へのとらわれを忘れることとは、一切の物事によって(自己を)明らかにされることである。
一切の物事によって(自己を)明らかにされることとは、自己の身と心、他人の身と心を、自由の境地にさせることである。
この世界全体を貫く仏道の道理のままに生きることになります。

今月の禅語(令和6年3月)

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