本来面目(ほんらいのめんもく)

面目は、顔つきや、顔のかたちのことです。本来の面目とは、自己の本来の姿、真実ありのままの姿のことです。

道元禅師が、中国での修行を終え、帰国してまもない時、まず初めに撰述したのが『普勧坐禅儀』でした。道元禅師は『普勧坐禅儀』の中で、坐禅の意義や、実際の作法などについて詳しく示しています。永平寺では、夜の坐禅の終わりに、修行僧が全員で、『普勧坐禅儀』を読誦します。

いわんや、かの祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見つべし。少林の心印を伝うる、面壁九歳の声名なお聞こゆ。古聖すでにしかり、今人なんぞ弁ぜざる。ゆえに、すべからく言を尋ね、語を逐うの解行を休すべし。すべからく、回光返照の退歩を学すべし。身心自然に脱落して、本来の面目現前せん。
恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。

『普勧坐禅儀』
お釈迦さまは、6年の苦行ののち坐禅により悟りを得られた。
お釈迦さまの教えを伝えた達磨大師は、9年間壁に向かってひたすら坐禅をしたと伝えられています。仏の教えを正しく伝えてきた先人は、皆、坐禅修行をしてきました。
どうして、今、学道の人が坐禅をしないということがありますでしょうか。
だから、人の言葉や、書物からだけで真理を学ぼうとするのをやめるべきである。
坐禅により、真理を自己の内側に求めなければ、本当の真理を知ることはできない。
坐禅により、身と心が、自然に自己に落とし込まれたとき、本来の面目が現前するのである。
このようなことを得ようと思うなら、急ぎ坐禅修行をするべきである。

自己の本来の姿に会おうと思うのなら、坐禅をし、修行をすることが第一である。
坐禅をしている時に、初めて本来の面目が現前するのであります。

だから、ただひたすらに坐禅をしなければならないし、修行を続けなければならないのです。概念の世界ではなく、今、ここに生の命を生きているのを、「本来の面目」と言います。

今月の禅語(令和6年4月)

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