行住坐臥(ぎょうしゅうざが)

行は歩くこと(行動)、住は止まる(休む)こと、坐は坐る(坐禅)こと、臥は臥る(寝る)ことで、私たちの日常生活での動作の基本であります。
仏教では、これらが戒律によって、厳しく定められています。
また、私たちは、この行住坐臥の全てが修行であると考えます。

『正法眼蔵』には、日常の修行の中で行うべき作法が示されている巻がいくつもあります。
特に「洗浄」の巻では、現在のトイレ、僧堂では東司と言いますが、大小の用をたすことの心得が事細かく示されています。「洗浄」とは用を足した後に身を清めることであり、道元禅師はこれを仏道修行する上での大切な行いと考えました。

私が初めて永平寺に上山した時、普段何気無く行っていたトイレで用を足すといった行いが、衣の脱ぎ方、トイレの入り方、個室に入る時に行う作法、用を足し終わってから自分のお尻を洗う作法など、本当に細かなことまで、覚えさせらました。

「正法眼蔵」の「洗浄」には、この時行っていた事が、そのまま示されています。道元禅師のトイレの作法は、普段汚くなりがちなトイレを、自ら清めることによって、初めて仏道を学ぶ事ができるのだと示されていたのではないでしょうか。

トイレの作法に限らず、朝起きて顔を洗うこと、食事をすること、坐禅の作法も、日常の生活全てが、修行であります。
修行をしているその時が悟りでると考え、行住坐臥、一日24時間、全ての時間を修行と捉え、実践していくことが、仏の命を生きることにつながるのです。

今月の禅語(令和6年5月)

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