和敬清寂(わけいせいじゃく)

茶道の精神を表す言葉です。
「和」は、和合、調和、心を一つにする。
「敬」は、相手を敬う、思いやる。
「清」は、清潔、清らかさ。
「寂」は、寂静、心静かな姿。
茶道の祖とも言われる千利休が茶道の心がまえとして示した言葉であります。
日本の臨済宗の初祖は、京都の建仁寺の開山である、栄西禅師ですが、栄西禅師は、中国からお茶の種を持ち帰り、日本中にお茶の文化を伝えた人でもありました。当時、お茶は、薬としても重宝されており、禅の修行道場などでも多く取り扱われました。
道元禅師も若き頃、栄西禅師の建仁寺で修行をされた経験があります。実際のお会いしたかどうかは、確証がないようですが、道元禅師は栄西禅師の一番弟子であった明全様とは共に、中国の渡り、禅の修行のとり組みました。明全様は、残念ながら、中国での修行の途中で亡くなりますが、日本に帰ってからも道元禅師は、このお二人からも大きな影響を受けていたようです。
曹洞宗でも、お茶の行持は、大切な修行の一つと捉えています。修行道場では、行茶と言って、住職をはじめ、山内の全ての僧侶が一堂の会し、お茶を嗜む行持が行われています。ちなみに、一昨年の能登半島地震では、曹洞宗の若い僧侶が、避難所などにおいて、「行茶」と称して、被災者にお茶や全国からのお菓子を持ち寄り、被災者の言葉に耳を傾け、同じ時を過ごすという、活動を行ってきまいた。
お茶は、禅とは切っても切れない関係にあると言えるでしょう。
さて、和敬清寂の言葉ですが、茶の湯の場では、主人が客人をもてなす、お互いに相手を思いやる心が根底になければならないと考えます。仏教では、同事、利他、禅定、精進といった言葉とも言い換えることができるかもしれません。
新年を迎え、世界を見渡せば、いまだに各地で多くの争いがあり、命の危険に晒されている人々が大勢います。日本の国内でも、意見の相違から、分断が進んでいるように感じます。他者を思いやる心、全ての人々が、このような考えを持つことで、少しでも、良い世の中になっていくよう、念頭にあたりお祈りする次第です。
