打成一片(だじょういっぺん)

元は中国の言葉です。打は接頭語。成を強調する言葉です。
成一片は、一片(一丸)に成る。他のことを全て忘れて、一つのことを極め尽くすこと。
円満無欠な一心になること。自と他を区別し、良し悪しを選択する心が無くなること。

そして、禅宗では、一切の執着を捨てて、ひたすら坐禅に徹すること。

出典は、中国の宋の時代に編纂された禅の問答集『碧巌録』と言われています。
『碧巌録』の第17則に、「香林の西来意」というものがあります。香林さんという方は、長い間、多くのお師匠様につき、年老いても厳しい坐禅の修行を続けていました。そして、80歳で亡くなるとき、「我、四十にして初めて打成一片」と言われたそうです。四十年かかって、やっと一つのことを極め尽くしことができた。お師匠様を離れてから四十年の間、ひたすら坐禅の修行に徹して、亡くなる時に初めて、坐禅の極意を会得されたと。
ちなみに「祖師西来の意」とは、達磨大師がインドから中国に禅を伝えた意味とは、といった質問です。香林さんは、その質問に対して、「坐久成労」と答えました。長く坐って疲れたと答えたそうです。

坐禅の本質を問うた質問に対して、ひたすら坐り続けることの重要性を、その言葉で示したのでしょう。

今月の禅語(令和8年4月)

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