帰家穏坐(きかおんざ)

家に帰って、穏坐する。心を落ち着かせ、穏やかに坐るということ。
本来いるべき場所に立ち戻り、落ち着くこと、心の平安を得ること。
禅的には、「邪心のない心に帰る」とも言えます。

この、「帰家穏坐」という言葉ですが、鎌倉時代、大本山總持寺を開かれた瑩山禅師がお示しになった『坐禅用心記』にも出てきます。『坐禅用心記』は、道元禅師が示された『普勧坐禅儀』とともに、曹洞宗の坐禅を行う上で、最も大切な指南書となるものです。坐禅の作法や、坐禅をすることの心構えなどが示されています。

「坐禅用心記」の一節です。

  仏の言く「聞思は猶お門外に処するが如く、坐禅は正に家に還って穏坐す」と。

仏さまの、正いものの見方「智慧」を得るために行うのが、聞・思・修の3つの行いです。
仏さまが、このように言いました。聞いたり、思ったすることは、まだ門の外にいるようなものだ。仏さまの教え、仏法を聞いたり、そのを頭で考えているだけでは、仏の道に入ったとは言えない。坐禅はまさに、家に帰って、穏やかに座るようなことである。

坐禅は、行であります。修行、体を動かす実践です。
仏道は、仏様の話を聞いたり、それを思うだけでは理解できません。実際に坐禅をすることで、仏道に入ることができるのです。

 誠なる哉、夫の聞思の若きは、諸見未だ休せず、心地猶滞す、故に門外に処するが如し。
 只箇の坐禅は、一切休歇し、処として通ぜずということ無し、故に家に還って穏坐するに似たり。

今月の禅語(令和7年11月)

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