「啐啄同時」(そったくどうじ)

啐は、鳥のヒナが卵からかえる時に、内側からコツコツと殻をつくこと。啄は、親鳥が、外側からコツコツと卵の殻を突くこと。ヒナと親鳥が、絶妙のタイミングで殻を突くことで、殻は破れ、卵からヒナが無事に誕生します。

元々は、禅の言葉で、これを、修行僧とそのお師匠さまの関係で捉えます。
日々、お師匠様について、厳しい修行に励む者が、いつしか、その修行の成果が実り、師匠に認められる時が来ます。その時、師匠が弟子に絶妙のタイミングで、教えを示し、そこで、初めて真実に目覚めるということがあります。

修行者は初めから、優れ師匠に出会うことは稀であります。道元禅師も比叡山や建仁寺での修行では、尊敬する師匠に出会えませんでした。さらに中国に渡り、多くの禅僧に見えましたが、最後に如浄禅師を本師としてお慕えしたのです。
また、師匠も、多くの弟子の中から、正伝の仏法を承ける者を見極めて伝えるのです。

これは、禅の語録である中国の書、「碧眼録」に納めされています。

「大凡、行脚する人は須らく啐啄同時の眼を具え、啐啄同時の用(はたらき)有りて、初めて衲僧(禅宗の僧侶)と称す。母、啄せんと欲さば、子啐せざるを得ず。子、啐せんと欲さば、母、啄せざるを得ざるが如し。」

『碧眼録』第16則 鏡清草裏の漢

今月の禅語(令和7年7月)

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