衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)

衆は諸々のといった意味。奉は行うということ。諸々の善い事を行うという意味です。
法句経では「善いことを行ない」となっています。
さて、ところで善い行いとはなんでしょうか?
善とか悪とかの考え方は、人によっても様々かと思います。
今、世界で起きている、パレスチナの問題、私たちは一刻も早く戦争を止めることが善であると考えますが、イスラエルには、人質を解放するまでは、この戦いを続けることが善であると考えている人もいるでしょう。同じようなことは、ウクライナや、アメリカの国内をはじめ、私たちのすぐ周りでも起こっています。そして、それが人々を分断し、お互いに敵対する構造になろうとしています。
インターネットの普及に伴い、誰でもSNSを利用して、自分の意見を発信することができるようになりました。物事の考え方といったものは、人それぞれで違うもので、ある人が正しいと思っていることも、ある人からすると全くの悪であるということはよくあることです。中には、物事を深く考えずに、単純化して伝え、それが多くの人に見られることにより、あたかも正しい意見のように伝えられることもあります。
そうすると、諸悪莫作、衆善奉行、でいう善い事、悪い事とは、一体何かと考えますと、それはお釈迦さまの教えに沿っているか、そうでないかとの問題であると考えます。
お釈迦さまの教えの第一歩は菩提心を起こすことです。そして、菩薩行を行ずる上で、まず一番初めに考えることが、「自未得度先度他」「己未だ度らざる先に、一切衆生を度さんと発願し営むなり」の教えです。
自分はまだ悟りを得ていない状態であっても、まずは他人を悟りに導こうとする考えです。まずは、相手の事を考えて、相手の身になって、自分が相手に対して何かを言ったり、行ったりする前に、必ず、相手の気持ちになって自分がそのように言われたり、されたりしたら、どんな気持ちになるのか、そういった事を想像することが大切だと思います。
お釈迦さまは、自分の利益を先とせず、相手の幸せを考えてあげる、全ての人々がそのように思って生きていけば、争いはなくなり、誰もが幸せになると考えたのでしょう。
