
生死事大(しょうじじだい)
生死とは生まれ、そして死ぬこと。
このことを理解することが、仏道を学ぶ上で最も大切という意味です。
曹洞宗の経典に『修行義』というものがあります。
このお経は、明治時代に編纂され、道元禅師がお示しになられた『正法眼蔵』から言葉を抜き出したもので、全5章、31節からなっています。
普段、私たち曹洞宗を信仰するものが必ず読誦する、宗典であります。
その冒頭の第1節には次のようにあります。
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば生死なし、但生死すなわち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり唯一大事因縁と究尽すべし。
「修証義」
生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、これを明らかにすること、その真実を見極めることが、仏道を学ぶ上で最も大切なことである。
生死、生まれてから死を迎えるまでの間、私たちは、常に苦しみの中で生きていますが、そうした日々の現実の中にこそ仏さまはいらっしゃる。生死、生まれてから死を迎えるまでの間が、涅槃の境地であると心えるべきである。そのように考えて、生死を厭ってはならないし、また、生死を涅槃として求めるものではありません。そして、このように考えた時、初めて、生死、生き死にが、自分のこととなります。このことが一番大切なことである。
生きている間には、さまざまな苦しみや、悩みが常につきまといます。その死に向かう1日1日を、どのように生きるか、それを考えることが最も大切なのであります。
今月の禅語(令和5年9月)