諸法無我(しょほうむが)

諸法無我(しょほうむが)

法とは、もともとインドの古い言語であるサンスクリット語のDharma(ダルマ)を漢訳したものです。ダルマとは、真理(仏の教え)や存在を意味します。

お釈迦さまは「法句経(ダンマパダ)」(現存する経典の中で最古のものと言われる)の中で次のように説いています。

「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが清らかになる道である。
「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが清らかになる道である。
「一切の事物は我ならざるものである」(諸法無我)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが清らかになる道である。

「法句経」(ダンマパダ)277,278,279

「一切の形づくられたものは無常である」
この世のあらゆるものは、常に移り変わっていて、何一つとして同じ状態で留まっているものはない。

「一切の形づくられたものは苦しみである」
仏教でいう四苦八苦、四苦は生老病死、人が生まれること、老いること、病を患うこと、死ぬこと。これらは生きている限り誰もが避けることができない。全てのものは自分の思いどおりにならない苦しみである。

「一切の事物は私ではない」
諸法とは、形のあるなしにかかわらず全てのものである。目の前に形として現れているもの、現れていないものも、全ては私ではなく、私のものではない。だから、思い通りにはならないのです。

これらを理解することが、苦しみから遠く離れる方法なのです。

そして、このように考える根拠が、縁起の考えです。
世間のあらゆるものは、さまざまな要素が原因となり、多くの条件が縁となって生じては滅しているのです。それらは常に変化していて、永遠不滅のものは何一つありません。

今月の禅語(令和5年7月)

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