以心伝心(いしんでんしん)

心を以て、心を伝う
言葉を用いなくても、お互いに意思が通じ合うこと。

お釈迦さまの十大弟子の一人に迦葉尊者という方がおりました。衣食住の生活のにおいて徹底して貪りの心を捨て厳しい修行をしていたので頭陀第一と称えられていました。

その昔、お釈迦さまの説法の場である霊鷲山には、お釈迦さまの教えを求める8万人の弟子や信者が集まっていました。誰もがこれから始まるお釈迦さまの説法に耳を傾けようと期待を膨らませてたところ、お釈迦様は一枝の華を拈ずるだけで、全く言葉を発せません。そこにいる誰もがこの行動を理解できませんでしたが、ただ一人摩訶迦葉尊者だけがお釈迦さまの意図を理解して微笑んだといわれます。この時、お釈迦様から迦葉尊者に仏法が伝えられたと言われています。拈華微笑の故事です。この後、迦葉尊者は、お釈迦様より、お釈迦さまに代わって説法することを許されます。
以心伝心という言葉は、この故事がもとになっています。

禅宗では、お釈迦さまから脈々と伝わってきた正しい教えを、師匠から弟子に伝えることを、法を嗣ぐといいます。
「仏法」は、お釈迦さまから迦葉さま、迦葉さまから阿難さま、お釈迦さまから数えて28代目の達磨大師がインドから中国へ伝えられ、中国では慧可さまから代々、法が嗣がれ、道元禅師のお師匠さまである如浄禅師さまへ、その後も日本でのお祖師さまがたを経て、一人も途絶えることなく現在まで仏法が引き嗣がれています。

経典や教説を頼りにするだけでは本当の教えは伝わりません。長い時間、禅の修行を実践して、機が熟して、初めて悟りの心そのものが、人の心に伝わるのです。

今月の禅語(令和4年11月)

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