不立文字(ふりゅうもんじ)

文字を立てない、文字を必要としないということ。
お釈迦さまの教え(仏法)は、文字だけではその真理を説くことができません。「以心伝心」心から心へ伝えられることだといわれます。

6世紀の頃、インドの禅僧、達磨大師は中国に渡り禅を伝えました。それまでも中国には仏教の教えは伝わっていましたが、それらは経典などを介した文字を中心とするものでした。達磨大師は、文字をたとえどんなに多く学んでも、お釈迦さまの本当の教え、真理を理解することはできない。坐禅を中心とした修行を実践することによって、初めて真の教えを理解することができると示されました。

また、道元禅師は、『正法眼蔵』をはじめ多数の著述を文字として残されています。「弁道話」の中では修証一等、つまり修行(修)と悟り(証)は同一であるとしています。修行それ自体が悟りであり、修行を離れて悟りはないと考えられました。
文字を学ぶ必要はないということではなく、修行を実践しないことには、どんなに文字を学んでも、悟りを得ることはできないといことです。
そして、この修行というものは、坐禅、読経などに留まらず、日常生活の全てであり、ひと時も休むことなく行わなければならないのです。

今月の禅語(令和4年9月)

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