只管打坐(しかんたざ)

只管とは、ひたすらに、余計なことを交えず、ただそのままにと言った意味。
打坐とは、坐に打ち込むこと。

只管打坐とは、余念を交えず、ただひたすらに坐ること。

坐禅で大切なことに、調身、調息、調心という言葉があります。
調身とは、身、すなわち体を整えることです。体調を整え、衣服を整え、そして坐禅の姿勢を整えることです。
調息とは、呼吸を整えることです。坐禅の時は口をしっかり閉じて、鼻から呼吸をいたします。お腹の奥から大きく息を出し入れするように、できるだけ深い呼吸を心がけます。
最後の調心とは、心を整えるということになりますが、心は意識して整えるということはできません。心を整えるためには、さまざまな執着から離れなければなりませんが、心を整えようと意識することの執着が、かえって邪魔をしてしまいます。ただひたすらに坐り、調身、身を整え、調息、呼吸を整え、坐禅に徹して、その他全ての執着を捨て去る、そこで初めて自然と心が整っていくのではないでしょうか。

さて、道元禅師は只管打坐の坐禅を伝えました。
余念を交えずただひたすらに坐るということです。
このただひたすらにということは坐禅に限ったことではないように思います。日常の生活の中で行われるさまざまな行い、食事をしたり、顔を洗ったり、作務をしたり、その一つひとつが坐禅であり、只管打坐なのです。修行道場では、余念を交えず、作法に則り食事をとり、顔を洗い、草を取っているのです。一つひとつの行いを丁寧にしっかりと行うことが大切なのだという教えなのではないでしょうか。

今月の禅語(令和4年7月)

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